拓銀破綻から25年。道内銀行の変遷

平成のはじめのころ。わたしら経済学部出身の人気就職先といえば、「銀行」「商社」「証券会社」だった。いわゆる金融関係が脚光をあびていた。中でも、銀行は知名度も高く、企業イメージもよろしく、安定していると思われていた。当時、銀行はいわゆる「都市銀行」と「地方銀行」にグループが分かれ、「相互銀行」なるものがあった。さらに地方を中心に「信金」や「新組」といった金融機関もあった。
道内でいうと、拓銀=都市銀行 道銀=地方銀行 北洋相互・札幌相互 だったように記憶している。序列もこのとおりだった。当時の学生は、成績が良く品行方正のものは拓銀へ。中くらいの人は道銀へ。相互銀行に行く人は変わり者だと思われていた。それが、1997(平成9)年の11月。拓銀こと北海道拓殖銀行が経営破綻した。三洋証券や山一証券と相次いだ破綻は金融危機を招き、企業倒産の急増などにより、バブル経済の終焉として長い停滞を北海道経済にもたらした。
拓銀から1998年に営業譲渡された北洋銀行は、2001年に札幌銀行と経営統合し合併する。北海道銀行は2004年に北陸銀行と経営統合して、ほくほくフィナンシャルグループを設立した。道内の信用金庫は31から20へ。信用組合は15から7つへと集約された。
記事では今年の各社の決算にふれ「拓銀破綻以降、大きく落ち込んだ道内金融機関の貸出金は破綻翌年の1998年を上回る過去最高額となった。道内の金融機関はバブル崩壊後の危機から完全に脱したと言えるだろう」としている。
この間、日銀は2016年からマイナス金利政策を始めた。資金運用していた銀行にとっては利ざやが圧縮される、新たな経営課題が浮上してきた。
ところが、ここに来て日本経済は潮目が大きく変わってきた。消費者物価は40年ぶりとなる3.6%の上昇幅を記録。海外との金利差拡大により円安が進行している。コロナ禍による危機脱却も目前に迫る。いわゆる「ゼロゼロ融資」という実質無利子・無担保融資により企業の倒産は大きく減った。しかし、2023年の春以降、これまで据え置かれていた債務の返済が始まる。企業側は、急激な物価高騰、人件費の増大、顧客の減少など、これまた多くの課題を抱えたままだ。
銀行の本来の仕事はお金という血液を流して経済を下支えすること。地元企業の経営を分析して、その強みを伸ばして、成長につなげることである。道内の金融機関には、自身の経営の安定化と取引企業の支援に取り組み、道内経済の成長に一層寄与していただきたいと思う。