ライターのための文章術・書く技術

[終わりよければ]
初めはとくに重要である。その次に大事なのは、終わりの部分。せっかく読者を引っぱってきて、いよいよお別れというところで味気ないあいさつをしたのでは、締めくくりができなくなる。終わりは余韻を決定する。記憶の中の文章を大きく色づけるのだから、文章を書く人はたいてい終わりをいかに結ぶかに心をつかう。

[初めが勝負]
書き出しができれば、半分はできたようなものだ。そのあとを読まずにはいられない。そんな書き出し。これで勝負がつく。

[である調、ですます調]
いまの日本語には2つの文体がある。語尾を「である」で結ぶ、である調と、「です」「ます」で終わる、ですます調。「ですます調」は児童向けとか女性向けの文章に多い。読み手を直接頭に描いているときには「ですます」調がしっくりくるし、読者を第三人称と感じているときには「である」の方が落ち着く。「ですます」体の文章が多くなっている。どちらでも書けるようにしておく必要がある。

[練習は毎日]
ピアノの練習をするとき、ひいたり、ひかなかったり、では上達はおぼつかない。いくら熱心に稽古しても、2日も3日も休んでは、進歩するより退歩する方が大きい。一般に技芸を身につけるには長い間の修業が必要である。修業の第一の心得は、たゆまずすこしずつやること。そこで、まず、時間はいくら短くてもよい。かならず毎日何か書いてみるように決める。決して休まない。毎日、朝、食事の前に、すこしずつでも文章の練習をすれば、かならず上達する。(外山滋比古)

[名文を読む]
「読書百遍」。名文をはじめ、自分の感心した文章があったら、一度だけでやめないで、何度も何度も読んでみる。こういう文章が書きたいと思いながら、読む。こうして何度もくりかえし読まれた文章はその人にとっての「名文」である。やがて、その文章のリズムとか調子といったものが、乗り移ってくるようになる。いくらか名文にあやかれるようになる。(外山滋比古)

[飾りをすくなく]
余計な形容詞・副詞はトル。<豊かな><すぐれた><新たな><たいへん>こういった形容詞は思い切って削ってしまうこと。飾りをすくなくすることは、ことばの生地の美しさを見せることにもなる。(外山滋比古)

[段落]
まず、書きたいことを箇条書きに書き出す。そのひとつひとつを一つの段落で言えるかどうかを考える。一つの段落/パラグラフで無理なら、2つあるいは3つと見当をつける。そうすると、全体でどれくらいの段落の文章になるか、あらかじめ予定が立つ。(外山滋比古)