建築界の巨匠・磯崎新さん

建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した磯崎新さんが亡くなった。91歳。建築評論家の五十嵐太郎さんが悼いとして伝評を載せていた。以下、要点を記述したい。

磯崎さんは、西洋文明の始原となった古代ギリシャ時代を代表するパルテノン神殿はカッコつきの「建築」、すなわち建築という概念の代名詞だと述べていた。建築はただの建物ではない。磯崎さんは文化としての建築を一貫して主張してきた。

建築家は、日本ではしばしば土建業者扱いだが、西洋では知的な文化人として位置付けられている。氏はそうしたモデルを体現し、だからこそ海外の建築家と対等な立場で交友関係を持った。戦後日本の国民的な建築家となり東京にモニュメンタルな作品群を残した師匠の丹下健三に対し、磯崎さんはコスモポリタン(世界主義者)として活躍した。代表作は東京になく、地方都市や海外にある。

磯崎さんの建築は時代ごとに変容し、進化をつづけた。1960年代の成長を前提とするデザインは、<旧大分県立大分図書館>に。1970年代の幾何学による形態生成は<群馬県立近代美術館>に。1980年代の古建築の引用は<つくばセンタービル>に。1990年以降には複合施設の実験として<秋吉台国際芸術村などである。

数多くの建築・都市論の著作を刊行。ジャンルを横断する議論を展開し、思想や歴史と建築をつないだ理論家としての功績も大きい。

磯崎 新(いそざき・あらた) 1931年(昭和6年)大分県出身。東京大学工学部建築学科を卒業。丹下健三研究室で黒川紀章らとともに東京計画1960に関わる。1963年、磯崎新アトリエを設立。2019年、プリツカー賞受賞。2022年12月28日、老衰のため那覇市の自宅で死去。